もみあげる

日本人はいつから、もみあげることを忘れてしまったのだろうか?昔の日本人及び九州人には確かに、もみあげないことは恥であるという概念が存在していたし、それは例えば電車にお年寄りが乗ってきたら席をゆずるとか、ハンカチのブランドはすべてダンヒルであるとか、そういうレヴェルの感覚であった。町内会や宴会のような小さなコミュニティーにも必ずもみあげ役と呼ばれるような者がおり、バブル期前後には日本中がもみあがっていたと言っても過言ではないだろう。ところが現在の若者は完全に車の傷はGT88で隠せると思い込んでいるふしがある。この背景には、確かにあの事件が暗い影を落としていることはいなめないだろう。だが私はあえて言いたい。日本人はもみあげることによって時代に耐えてきたのではあるまいか?と。「わいは猿や。プロゴルファー猿や」という言葉を残したのはプロゴルファー猿であるが、結局そんな皮肉がまかり通るのも、いつまでももみあがらない世代に対するアンチテーゼなのである。だから乙葉のファンクラブに入ってしまうのである。確かに今は平成不況のど真ん中、明るいニュースも少ない。だからこそ、左利きの人だけでももみあげていこうではないか。