なんでもわかってしまうひと

世の中にはなんでもわかってしまうひとがいます。「そんな人間いるわけない」というひともいると思いますが、たしかに全世界の言葉がわかるひとはいないわけだから、そんなひとはいるわけありません。
だから「なんでもわかる」という表現はちょっと違うんですが、理由もなく相手のウソがわかったり、マージャンをしていて、イカサマをしないで次に自分が持ってくるマージャンパイがわかったりする人は実在します。つまり「なんでもわかる」ではなくて「何の理由もないのにわかる」というのが正しい言い方かもしれません。
理由がないのにわかるっていうのはちょっと理解不能な感じもしますよね。超能力なのかって。まあ、超能力っていうものがなんなのかわからないから、なんともいえないんですが、超能力的ではあります。この「なんの理由もなくわかる」というのは、つまり「勘」のことです。勘というのは「理論的に考える」ことの反対側で、自分が今まで生きてきた中で、見たり聞いたり触ったり、つまり自分自身で身につけたものを使って、総合的に思いつく、ということです。
よく「女の勘」っていいますが、このジャンルにかけては明らかに女性の方が優れていると思います。よく女性はファミレスとかで、間をおかずひたすらおしゃべりをしています。しかも話しがあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりして、男性には理解不能というか、ついていけないと思います。しかし、会話はちゃんと成立しています。これは女性が勘を駆使しておしゃべりをしている証拠です。
たとえ男女の職業差がなくなったとはいえ、男性は外で戦ってこなければなりません。男性だって戦いの切所では勘がものをいいますが、上司や他の会社のひとに自分の企画を通させるには非の打ち所ない理論的な企画書を出さなければなりません。こういう戦い方ばかり、二十歳前後で就職して六十歳くらいで定年するまで、男性は続けてきます。「実体験を総合的に思いつく」勘は鈍り、理論的思考はどんどん発展していきます。
対して女性は、外で理論的に戦うことよりも、育児や家事や、たとえそれが仕事であっても女性の仕事は保母さんや看護婦さんが多くて、理論的思考よりも実体験で身についたことが、ものをいう世界で歳を重ねていきます。実体験で身につくものとは、子供が泣いているときに、叱ればいいのか、抱きしめればいいのか、スイカを一目見ただけで、中身がスカスカか詰まっているのかを当てることです。当然、理論的思考よりも勘が鋭くなっていきます。だから「女の勘」は怖いんです。本当にえらい保母さんや看護婦さんは、マニュアルを全部覚えている保母さんや看護婦さんよりも、アドリブで、つまり勘で、泣いている子は叱るべきか抱きしめるべきか、病気の患者に冷静に治療法を伝えるべきか一緒に悲しみを分かち合うべきか、一瞬で思いついてしまう保母さんや看護婦さんです。そういった保母さんや看護婦さんは「理由もないのにわかる」ひとたちです。自分の脳の中にあるものを、瞬時に総合的に統合して、思いつくんです。いってみれば「天才」です。しかし、なんでそうしたか、例えば、なんで子供を抱きしめたか、他人に説明することはできません。勘だからです。理論でしか他人に説明することはできないのです。しかし、後輩の保母さんや看護婦さんに伝えることはできます。一生懸命、今まで通りに働いていればいいのです。そういった先輩と一緒に仕事をしていれば、自然と様々な体験が、アドリブが身についていき、「理由もなくわかる」ようになります。
男性で、仕事の中において「理由もなくわかる」ひとは天才です。女性はほとんど全員が「天才」なんだから、「天才」が普通なわけで、天才はほとんどいません。いるとすれば、男性くらいの理論的思考と、勘の両方を持ち合わせているひとです。
男性は天才以外、ほとんど常に理論的にものごとを考えています。男性は時々ひとりの時間がほしくなるときが、だれにでもあります。ひとりで車の整備をしたり、集めた切手を眺めていたくなるのです。しかし、やさしさから、妻や恋人にウソをついてひとりの時間を作ろうとします。しかし、女性には、勘で、ウソが一発でわかってしまいます。そこから、せっかくよい関係だったのに、ぎくしゃくしてしまうことが多いと思います。
ということは、女心を理解している男性こそ「いい男」なわけで、男心を理解している女性こそ「いい女」なわけです。「いい男」や「いい女」はモテるから、「いい男」や「いい女」は「いい男」や「いい女」を選んで、一緒になっていくわけです。
まあ、つまり、一生懸命生きて、他人ことを思いやるきもちがあれば、自分もしあわせになるのではないかという感じですかね?
そんなことを最近、考えているましゅまろちゃんです。
ましゅまろちゃんも幸せになりたいよー!!