「彼をイラクに行かせないで」たった一人の街頭署名活動

http://www.asahi.com/top/update/photonews/1211/TKY200312100359.html


「自分の恋人がイラクに行くことになったら。同じ世代の人たちにも考えてほしい」と繁華街で1人で訴えた=10日午前11時すぎ、札幌市中央区狸小路

交際相手が自衛隊イラク派遣要員に選ばれた札幌と千葉の女性が、それぞれ1人で派遣反対の署名集めを始めた。政府が派遣を決めた今、どうしたら派遣を止められるのか。そんな気持ちから、師走の街頭に立つ。

■札幌で
札幌市の中心街にある狸(たぬき)小路。商店など約200軒が並ぶアーケード街に10日午前、23歳の女性が立った。署名用紙を載せて首から下げた手作りの板には、「恋人を奪わないで」と手書きした紙がさがる。零下2.5度。降りしきる大粒の雪がアーケードの下に舞い込む。
「私の彼がイラクに派遣されます。反対の署名に協力してください」彼とは今年の夏に知り会った。第2陣で派遣される見込みの第11師団(札幌市)の隊員だ。
10月末、「イラクに行くことになった」と告げられ、驚いた。「断れないの?」「めったにない機会だから行きたい」。国際貢献活動に参加した隊員は、帰任後の処遇で優遇される。将来を考えての決断だった。 訓練が多く、会えるのは2〜3週間に1度。いろいろ聞きたいが、「何も話せない」と口は重い。「イラクの人は、おれたちを敵だと思っているだろうな」。彼も、時折、不安を口にする。
全国で反対署名を展開する運動を知り、署名簿とビラを取り寄せた。「とにかく何かしないと。でも、どこまでやればイラク行きを止められるのか、わからない」。初めて署名集めに立った10日、夜7時すぎまでかかって130人に署名してもらった。
「頑張って」とねぎらってくれる人もいたが、「隊員を辞めたら」とも言われ、ショックだった。

■千葉で
千葉県に住む30代の女性は、8日から県内の自宅近くのスーパーや繁華街で、署名活動を始めた。隊員の彼は同世代。2カ月ほど前、派遣を打ち明けられ、「不安にさせるから別れた方がいい」とも言われた。
行ってほしくない気持ちは伝えたが、彼は悩んだ末、厳しい訓練に耐えてきたことを無駄にしたくないと、決意したという。聞きたいことはいっぱいあるが、話が堂々めぐりになって、彼を悩ませるから聞けない。
「このまま何もしないでことが過ぎていくのは耐えられない」と、署名集めを始めた。8、9の両日で約160人。「こういう思いをしている人がいることを、たくさんの人に知ってほしい」と訴える。 (12/11 06:14)

報道写真は、時として、活字よりもはるかなインパクトを、その報道している対象の本質を伝えるものです。
この写真の女性は、自衛隊員の恋人が、治安の悪化が究極に達しているイラクへ派遣されるのを止めさせるため、雪のちらつく札幌の街頭で、たったひとり、署名活動をしています。
大きな世界の流れから見て、奥参事官と井ノ上書記官を殺されておいて、自衛隊派遣をやめることは、テロに屈したことになり、また、そういった一般の日本人を守るためにも、自衛隊派遣は必要だと思います。しかも、自衛隊は徴兵ではなく、入隊したい人が入り、辞めたい人が辞められる組織です。
でも、この写真を見ると「すべてのことがらには様々な側面がある」という本質が見えてくるような気がします。


「死をもって抗議」
(この写真は人間が燃えている写真です。見れない人はクリックしないでください)
http://news.goo.ne.jp/news/exhibition/vol_01/01.html
この写真は、ベトナム戦争の時に、仏教弾圧に抗議するため、座禅を組んでお経を読みながら焼身自殺している僧の写真です。これが世界に配信され、新聞に載ったときのインパクトは、はかり知れないものがあったと思います。
しかし、ここでひとつだけ、間違ってはいけないのは、これは、死をもって抗議している僧の、抗議を報道しているジャーナリズムであり、「フォーカス」や「フライデー」がただ闇雲に事故の遺体を載せまくっているのとはまったく別物であるという点です。
つまり、僧は死ぬところを見せたかった、見せて抗議したかったわけですが、新宿の雑居ビル火災で亡くなった人や、日航機墜落事故で亡くなった人や、阪神大震災で亡くなった人は、はたして自分の焼け爛れた死体を世間に見せたいと思うのか?炭みたいになって、墜落現場の近くの体育館に並べられた何百体という死体の中の、まる焦げの自分を世間に見せたいのか?それは死んでる以上誰にもわからないでしょう?もし見せたくなければ(生きている時にそう考えていたならば)そんな写真を掲載することは、重大な人権侵害ですよ。あくまで想像ですが、自分のそんな悲惨な死体になった姿を、家族や親しい人以外の不特定多数の日本中の人に見せたい人なんているはずがないんですよ。
しかもそれを芸能記事や政治家の汚職追及記事の中に入れて、コンビニや駅の売店で売って、電車の中で読んでも平気な雰囲気にしている。そのうえ「この死体が語るものは何だ!」とか言って、あたかも、僧の焼身自殺を報道した報道機関と同じものなんだと言わんばかりの見出しをつけています。
これははっきり言って、人間の死に対する恐怖を逆手にとったゲスな商売で、報道やジャーナリズムを語ること自体、報道やジャーナリズムへの侮辱です。
だって人間は死体を見たいでしょう?死体を見れば「ああ、今こんな悲惨な死体の写真を見ている自分は、こんな目にはあってないな」って、つかの間、安心できるでしょう?でも、根本的な部分では死の恐怖は厳然として存在するんです。だから、毎週毎週、見ないといられなくなるんです。本人も気が付かない間に。
そんな商売のために、死体になった人の人権を無視することは許されませんよ。そしてそんなものは、報道とは言えません。