秋葉系ファッションの極意

東京の秋葉原は大阪の日本橋と並んで、電器屋さんがたくさんある「電気屋街」として知られています。しかし、現在は、パソコンやビデオ、DVDなどの発展にともなってか、アニメ・漫画・ゲームなどの、いわゆる「おたく」文化の発信基地として、重要な役割を果たしています。ものすごい数の「おたく系」ショップが乱立し、マニアたちで連日、賑わいを見せています。
この秋葉原に集まる人たちのファッションのイメージって、みなさんもなんとなく、というかはっきり想像できますよね。チェックのネルシャツに、裾に向かってテーパー(すぼまっていく)な形のスリムジーンズ。ディープな場合は「霜降り」とも言われるケミカルウォッシュがかかっている場合もあります。そして、パンパンの、青いビニール素材で、底の部分がスエードの皮素材になっているリュック。それを、片方の肩から掛けています。
(図・1)

このスタイルはいったいどうして発生したのでしょう?
そこには、彼ら、いわゆる「おたく系」の存在を規定する、重要な秘密が隠されているのです。
リュックに関しては、漫画をたくさん買うことを目的としているので理由ははっきりしています。しかし、チェックのシャツ、これは非常に重要な意味を持っています。なぜなら、チェックのシャツはストリートファッションの中では「王道」であり、誰もが、最高にお洒落な人でも着ているアイテムだからです。
ではなぜ、彼らが着ると、同じシャツが「おたく系」の着こなしになってしまうのでしょうか?
そこには「見る」という暴力が多分に影響しています。彼らは基本的に鑑賞することのマニアです。アニメを、漫画を、フィギュアを、見ることのマニアです。性的な対象として男性が女性を見ることは暴力です。それは結果として、痴漢のような卑劣な犯罪に直結します。あからさまに暴力です。暴力を実際に振るうということは、自分も振るわれる可能性のある世界に入り込んだことを意味しています。女性を自分の欲情のために見るということは、自分も誰かになんらかの視線で見られることです。
これは嫌なことですよ。暴力なんか振るわれたくない。怖くておっかないことは避けたいんです、人間だから。そこで発見されたのが、アニメや漫画やゲームやフィギュアの美少女たちです。彼女たちは、物理的に、どうしたって自分を見てくることはありません。こちらが一方的に見ていればいい、暴力をふっかけていればいい存在です。だって、絵やプラスチックだから。問題ないんです。
そうなると、アニメや漫画やフィギュアの技術は、経済的に、会社がお金を儲けるためにどんどん、理想的に、見たくて仕方ないデザインの道をものすごい勢いで発展していきます。
それに反比例して、見るだけで、見られることのない秋葉系の人々のファッションは、より「見られない」スタイルへと変貌していきます。見られることがいかに暴力かは、彼らがいちばんよく知っているからです。
大ヒットアニメ映画に『紅の豚』という宮崎駿監督の作品があります。主人公の男性は自らに魔法をかけ、醜い豚の姿になってしまいます。そして、豚になった主人公は、テレビのCMでひたすら同じキャッチコピーを言いまくります。
「かっこいいとは、こういうことさ」
飛びつかないはずがないでしょう?だって、醜い豚になることが、かっこいいんだもん。誰にも見られない醜い姿になること、見られる暴力から開放されて、ただ見るだけの存在になること。それを「かっこいい」って言われりゃ、秋葉系の人たちは絶賛するしかないんです。実際、私の知り合いのパソコンゲームのマニアも「かっこいいとは、こういうことさ」を絶賛していました。
だからあの着こなしになっていくのです。「かっこいいとは、そういうこと」なんですね。