JR福知山線・宝塚―尼崎間で55日ぶり運転再開

今日、脱線事故を起こしたJR西日本福知山線が55日ぶりに運転を再開しました。
背広姿で頭を下げている姿が視聴者に刷り込まれた、JR西日本垣内剛社長は、JR西日本のユニフォームを着て、制服・制帽の姿で始発電車の運転席に乗りました。運転するのはわずか24歳の阿武(あんの)弘明運転士です。社長が横に乗っている運転席で、たったの1ミリもオーバーランをしてはいけないのです。
文藝春秋」には事故を起こしてしまった故・高見運転士の文章が載っていたけれど、法律上はどう考えても高見運転士の「業務上過失致死・障害」ですが、これはそんな単純な問題じゃないです。戦争でもないのに107人が死んだということは、高見運転士の操作ミスで片付けられる単純な問題ではないはずです。テロリストでもやくざでもないのに誰が好き好んで人を殺しますか?もちろん被害にあった乗客や遺族のやり場のない悲しみや怒りは心の底から理解できます。でも、真面目に運転していた人を、死んでしまったことをいいことに、マスコミや関係のない第三者が責めるのはお門ちがいも甚だしいですよ。高見運転士は乗客のために「ダイヤ」にプライドと命をかけていたんです。それは“愛”なんです。そして、いちばん先頭の運転席に乗って、マンションに衝突して、コンクリートと鉄とガラスにはさまれて死んだんです。
福知山線は、今回の事故を受けて、ダイヤの改正を行いました。それによって、事故があった路線は「4分」今までより遅くなったそうです。
「4分」みんな早く起きたら、そういう習慣なら、107人が死なないですんだかもしれないんですよ。
確かに、被害者は乗客だし、加害者はJR西日本であることは、子供だってわかる。事故の引き金を引いたのは運転ミスをした高見運転士です。でも、その引き金を引かせる原因になったのは、秒単位での正確な運転を求めたり、日勤教育という精神的に追い込まれるようなペナルティーを科していたJR西日本の体質です。そして、その体質を作り出したのは、「あと4分寝ていたい」という、甘い誘惑に勝てない人間の弱さなんです。
107人が死なないですむことの原因は本当にたくさんあるけれど、その一端は「4分早く起きること」、「寝坊したいことを頑張って振り切ること」なんです。朝、起きるのはつらいけどね、それによって、今回ならば高見運転士が107人を殺害した殺人者になってしまう、それが「もうちょっとだけ寝ていたい」という理由だなんて、悲しすぎて、むなしすぎて、人間に眠るという生理的現象がなければ、なんていう、不可能な願いを感じてしまいました。