悲しみは雪のように

今日、南武線に乗っていたところ、ぼくが座っている隣に、分倍河原から乗ってきた、革ジャンを着た男性が座りました。
最初は何も感じませんでした。要は、危険な人オーラをまったく出していないんです。だから、ぼくは何とも思わず携帯で麻雀のゲームをしていました。

ところがぼくの左に座ったその男性は、おもむろに右手で首のあたりを掻き出したんです。それでもまだぼくは「ああ、首が痒いんだな」程度にしか思っていませんでした。電車の中でも、首が痒ければちょっと掻くくらいは通常のことです。
ところがその革ジャンは、掻きをどんどんエスカレートしていくのです。でもまあ、痒いのは皮膚の何かの病気であり、今、薬を持っていなければ、掻くしか方法がないわけだし、大変だな、と思っていました。しかし、革ジャンはどんどんその掻きをエスカレートさせていきます。片手から両手、首から頭皮。もう両手ですこしリーゼント風の頭をひたすらに掻きむしっているんです。

ぼくはそこで思い出しました。60年代から70年代に活躍したロックミュージシャンのジャニス・ジョップリンのことを。ジャニスは亡くなる前、数年間は重症なドラッグ中毒者でした。そしてその副作用で、コンサートの最中もずっと頭を掻きつづけていたんです。

こと、ここに至り、ぼくも危険を察知しました。そのうえ革ジャンは髪の毛を掻きむしった後、自分の着ている服の肩やひざを右手で払っているんです。

ぼくは、小さいころから新陳代謝が激しい体質で、中学生のころは毎日、頭を洗っているにもかかわらず、頭を掻くと無尽蔵にフケが出ました。眉毛からもフケが出ました。朝夜とシャンプーや石鹸で洗顔しても、学校に行っている時間に新陳代謝が活性化して、フケが出るんです。最近では収まってきたのですが、中学生くらいのころは、本当にそんな感じでした。

革ジャンは、自分の頭を掻きむしった後、毎回必ず自分の服を手で払うんです。つまり払われているひざや肩に何かが蓄積されているんです。ぼくは革ジャンと体を密着するくらい近くに座っています。電車で横に座っている人を見つめることは、何かしずらいことです。でもですよ、いままでの状況からして、明らかにぼくの体にも革ジャンの鱗粉が降りかかっているんです。

その時、ぼくの頭の中では、浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」という曲がエンドレスで響いていました。

♪君の肩に悲しみが、雪のように積もる夜には〜

悲しみが積もる前に席を移動しました。