おれがボランティア

最近の適当すぎる芸風からは、もはや絶望的に信じられないのですが、ぼくは昔、老人ホームに落語の慰問のボランティアをしてまわっていました。その中でも特別養護老人ホームという、痴呆や体のガタが相当きているお年寄りがいるところでは、落語をしていても当然ウケるところでウケるというのはないんです。明らかにまだフリのところで笑い出したり、結構笑えるところでもこちらを見たまま微動だにしないお年寄りが結構います。そして何より衝撃的なのが、落語をしている最中に咳き込んで、それが止まらなくなって、職員に連れて行かれるお年寄りがいることです。一緒に行っていた先輩などは、ちょうど下ネタの最高に笑えるところでお年寄りが連れて行かれたので「おれの落語のせいであのお年寄りが死んだらどうしよう」という、すさまじい心配をしたりしていました。
最初のうちはそういうことがあってもそれについてはふれず、そのままネタを続けていたのですが、職員に「ああいう場合はそのことについてふれてもいいのか?」と聞くと「それのほうが喜ぶ」と言われました。そこで、ぼくが落語をやっている時にそれは咳き込んでではなくて、疲れたからかなんかだったのですが、職員に連れて行かれるお年寄りがいたので「あれ?もう行っちゃうんですか?帰ってこなくてもいいけど、天国には行っちゃわないでくださいよ」と言ってみました。ちょっとやばいかなあと思ったのですが、これはめずらしく会場中が大爆笑でした。連れて行かれているお年寄りも「何言ってるのよ」という風に手でちょっと空気を叩いてツッコミを入れていました。
この笑いは通常では考えられない笑いです。普通、自分が直面している危機を、その苦しみもわからない第三者にネタにされて笑えるはずがないんです。この場合の危機は死です。なんで笑えるんだろうと不思議に思いました。やっぱりボケてるからなのかなとも思いました。
しかし、これは職員の話しを聞いたりした結果、死に対する捉え方が違うから起こる笑いなのではないかと思いました。老人ホームでは当然、月に数人のお年寄りが亡くなります。お年寄りが亡くなった場合、その老人ホームでは次の日の朝ご飯の前に「昨日○○さんが亡くなりました」と発表します。するとお年寄りは少しの間、黙って手を合わせた後、普通に朝飯を食べ出すらしいです。○○さんは数日前まで同じ老人ホームでちっちゃいビリヤードとかをしたり、おやつのいちごヨーグルトを食べたりしていた人です。つまりそこの老人ホームのお年寄りにとって、死はそれほどの危機でも悲しみでもないんです。ごく普通のことなんです。
そりゃ、ぼくだって頭の中ではそう思います。人間は誰でも絶対に例外なく死にます。人間全員が死ぬんだから、死はそれほど特別なことではないし、死ぬ時が来たら死ねばいいし、それを無理矢理伸ばすことも縮めることもないと思います。それでもぼくは、例えば家族とかがもう回復しない病気で、苦しいけれども呼吸器を付けていれば生き続けられる、外せば死んで苦しみがなくなる、という時に外すか付け続けるかを決める立場になったとしたら相当悩みます。そんなものは治らないんなら外すほうがいいに決まってるんです。それでも外せずにその人が死ぬまで悩んでしまうかなとも思います。
ところが老人ホームのお年寄りはその悩みを完全に振り切ってしまっているんです。だから「天国へいっちゃだめ」というギャグで笑えるんです。
人間は死んだら土に返る。その土から野菜とかがはえて、生きている者の栄養になる。地球にはいちばん最初は生物はいなかったと言われています。そこにアミノ酸だかなんだかわからないけど、そういうものからバクテリアとかアメーバみたいのができて、進化していって今の人間になったといわれています。つまり、いちばん最初は、土や水に「生きたい」という意志があったところから始まっています。死ぬというのはそこに帰ることなんですかね。とすると、生きることと死ぬことはフレームが体か土かの差だけで、基本的には同じことなんでしょうか。
太陽系は太陽の周りを惑星がくるくる回っていて、銀河系も明るいところを中心に回っていて、宇宙も膨脹しながら回っているらしいです。これは最小単位である分子の構造に似てますよね。中心の原子の周りを電子が回っている絵を理科の教科書で見た時に思いました。宇宙が爆発してなくなってもまた分子にもどるという感じが、死んで土に帰っても全然平気という感覚でしょうか。
もうこの辺のことになると、頭ではなく感覚で捉えられたかどうかが自分でわかるかどうかの話しだと思います。
ぼくはそんなものとてもでないけどまだ捉えられません。しかし、あのギャグで笑ったお年寄りは捉えているのではないかと思います。だから笑えるんです。時代背景的にあのお年よりたちは小学校も出ていないかもしれませんが、東大で難しい哲学の研究をしている教授よりも、感覚では哲学を理解しているんではないでしょうか。
お年寄りってすごいなと思います。