個人でサイトを作る理由

私もそうなんですが、最近はインターネットが普及して、しかも使い方が簡単になってきたので、個人でホームページを作る人が増えました。日本人の日常的にインターネットを使っている人の数より、日本語で書かれたホームページの数の方が多いとも言われています。インターネットは受信するものから、発信するものへと変わってきています。しかし、使っている人の数より、ホームページの数の方が多いというのはちょっとおかしいですよね。この現象はいったい何を意味するんでしょうか?
人間以外の動物は本能で生きています。本能だけで生きているというのは、ただ種の保存のためだけに生きているということです。つまり、なんの動物でもいいんですが、例えばライオンは、ライオンというものが永遠に地球上にあり続けるためだけに生きています。ライオンが地球上にあり続ける、という長いサイクルの中で、ライオン自身の個としての生命は、そのサイクルの中のひとつのつなぎ目でしかありません。そのためだけに、あらゆる活動をして生きて、死んでいきます。
ところが人間は、本能で生きているわけではありません。個人で考え、行動して、生きて、死にます。人間という種を残していくためだけに生きてる人なんていないでしょ?だから、自分で、生きて、死ぬ意味を見つけなければ、怖くて仕方ありません。人間は、知らないこと、未知のものがあると不安になって怖くなるんです。生きていることは、現に今生きているわけだから、よく知っていて、怖くもなんともありません。ところが、死ぬことは、地球上の誰も体験したことがないから、なんとかして意味を見つけないと怖くてどうにもならないんです。そこで、宗教とか家とか国が生まれたんだと思います。きちんと生きれば死んだ後、天国にいって永遠の命が得られる。解脱できる。自分は家系の一部で命をつなぐものである。自分が戦争で討ち死にすることは「お国のため」である。こういった価値観は、動物の種の保存のために生きているという価値観を、人間に当てはめているんだと思います。だから、江戸時代の侍は殿様のために死ぬことは、自分の所属している藩や家に「名声」が残ることだから、そんなに怖くなかったと思います。
ところが、日本は元々宗教はそんなに重要視されていなかったし、今はいろいろな歴史がめぐり合わされた結果、家も国も、そこから死の意味を見いだすものではなくなりました。それでも、生きて死ぬことの意味を見いださなければ怖いから、何か「永遠なるもの」と思われるものに自分を組み込まなければなりません。そこで、新興宗教とかマルチ商法とかに、これだけそのほころびが話題になっているにもかかわらず、だまされる人が後を絶たないわけです。自分が誰かを勧誘して、その誰かが、また誰かと誰かを勧誘する。そうやって永遠につながっていくように思ってしまう。そのうえ、勧誘していった人数が増えれば増えるほど、地位が上がりキャッシュバックが増えていくんだからたまらなく魅力的なんだと思います。でも、そんなものはウソに決まっていて、結局、誰も勧誘できず、最初の自分だけが損をする仕組みになっています。
そこで、インターネットのことを考えてみると、まったくもって、永遠につながっていくもののようなの気がしませんか?実際、かつてのパソコン通信が「電車的」で、ある人がそのネットワークを管理していたのと違って、インターネットは「道路的」で、ただやみくもに線さえつながっていれば世界中に自分が拡がっていきます。ここに、自分がホームページを作る、発信する側になる、ということが爆発的に普及した要因の一部があるような気がします。実際、自分が死んで、ホームページを置いていたアドレスのところがなくなったとしても、一度発信した以上、世界中のどこかには、きっとそのアドレスの半角アルファベット数文字が残るような気がします。
まあ、なにもそこまで考えなくても、ただ楽しいからというのがいちばんの理由だとは思いますが。