2.新馬戦

1991年11月30日。阪神競馬場、第3レース。競走馬たちがレースにデビューする新馬戦が行われました。全11頭中、1番人気は武豊騎乗のオースミオーカン。他にもエクセレントバイオ、ランドフレッシュなどが人気を集めていました。
その中に馬体重420キロほどの、小柄で貧弱な1頭の鹿毛の牡馬がいました。父・テュデナム。母・インターマドンナ。名前はキョウエイボーガン。
調教も血統も体格もよくないキョウエイボーガンは、デビュー戦でもあり、ほとんどの人が注目していませんでした。しかし、馬がレースの駆け引きを理解していない新馬戦は逃げ馬が有利と言われています。このレースも、うまくスタートを切ったキョウエイボーガンはそのまま逃げ、あっさりと1着でゴールを駆け抜けました。
競走馬が新馬勝ちする確立はおよそ10分の1。キョウエイボーガンは母の分も生きるための、第一歩を踏み出しました。しかし、それは、毎週土日、1競馬場で12レース、2から3競馬場で行われている競馬の、午前中のレースのちょっとした番狂わせでしかありませんでした。まだほとんどの競馬関係者も、キョウエイボーガンに注目する者はいませんでした。まして、1年後、日本の競馬ファンの憤怒を一身に浴びる”超悪役”になることなど、誰も予想すらできませんでした。