いかりや長介さん死去 「全員集合」、ドリフのリーダー

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人気番組「8時だヨ! 全員集合」でテレビのお笑いを席巻した「ザ・ドリフターズ」のリーダー、コメディアンで俳優のいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時30分、死去した。72歳だった。
東京・本所生まれ。高校を中退後、職を転々とした。アマチュアのハワイアンバンドのベース奏者になったことがきっかけで芸能界へ。
62年、加藤茶小野ヤスシらと共にウエスタンとロックをこなすバンド「桜井輝夫ザ・ドリフターズ」に加わった。その後、一部のメンバーが独自の活動を始めたため、64年に仲本工事高木ブー荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成した。日本テレビの「ホイホイ・ミュージック・スクール」でデビューし、楽器を使ったギャグでパンチのある笑いを送り出した。
67年春、TBSの「ザ・ドリフターズ・ドン」に出演。69年、生中継番組「8時だヨ! 全員集合」がスタートした。大がかりな舞台装置と体当たりのギャグが子どもたちの圧倒的な支持を受け、「お化け番組」の異名を残した。同時に、「食べ物を粗末にする」といった批判や、ストリップまがいの踊りなどで「俗悪番組」とも呼ばれた。
85年に「8時だヨ! 全員集合」が終了した後は、映画やテレビドラマで渋い脇役として精力的に新境地をひらいて行った。黒澤明監督の「夢」(90年)、山田洋次監督の「息子」(91年)などに出演、98年の大ヒット映画「踊る大捜査線」(03年に続編)では、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞に選ばれた。

ましゅまろちゃん「なんかすごく残念よね。ご冥福をお祈りいたします」
飛鳥どれみ「おれは子供のころドリフが大好きだったからな。毎週、本当に楽しみだったよ。ちょっと前に、幼稚園のころの文集みたいのが出てきて、将来の夢のところに『志村けんになりたい』って書いてあった」
ま「それはちょっと異常ね」
飛「たしかに普通はそういうところに書く子供の夢ってある程度決まってるもんな」
ま「仲本工事とか高木ブーとか」
飛「う〜ん・・・つっこみ方はわかるんだけど、お笑いをやっている身としては、なんとも難しいところだな」
次郎「仲本やブーにあこがれる子供はおらんでごわす」

ま「うわ!出た」
次郎「はじめまして。わたしは、仮想世界に生きる“電子の大仏”次郎というでごわす。実体を持った大仏よりも空想の大仏が好きだ!という二次元大仏コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネット大仏でごわす。どうかよろしくお願いするでごわす」
ま「はじめましてじゃないよ!だいたい次郎はさ、そんなこと言って、じゃあ、ドリフ見てて、誰にあこがれてたの?」
次郎「ピンクレディーでごわす」
飛「は!?」
次郎「ミイちゃん萌えでごわす (*^_^*) ポッ 」
飛「ええっー!!次郎って萌えニストなの?」
次郎「ミイたん萌え〜 ヽ( ´ー`)ノ 」
ま「次郎は御仏に仕える身、というか御仏本体じゃない!そんなこと考えてていいわけ?」
飛「そうだよ。ご利益なさそうだ」
次郎「 _| ̄|○ 」
飛「ダメだこりゃ」
ま「次いってみよう」