太平洋

海を眺めていて、我慢できなくなりズボンを捲り上げてひざより上くらいまで入ってしまいました。海を眺めているとたくさんのことが感じられます。でも靴を脱いで少し入るだけで、さらに別のたくさんのことを感じられる。
人間は知識をたくさん詰め込んで成長していきます。本を読んだり、人から聞いたり。それは大切なことだと思います。でも知識や情報は人間を歪めてしまう気もします。人間は社会で他人と関わって生きていくのだし、そうしなければ生きられないのだから、知識も情報も必要です。でも人間はだれがどう見ても自然から生まれたものです。コンピュータではないです。そしてもう、知識や情報ではコンピュータの方が、人間より遥かな高みへ行ってしまっています。でも人間にはコンピュータとは決定的に違う点があります。
それは自然から生まれたところ。自然を感じることができるところです。なんか少し、今の人たちは、最近そんな人間の特権を放棄していることが多いような気がします。
ただまっすぐ自然から感じるままに漂うことも絶対必要っていうか、それが本当はすべてなんだと思います。でも例えばイラク自衛隊を派遣して、人の命を危険にさらす。自然のままに考えれば命は自然に朽ちるのが流れだから、とっとと自衛隊は日本に帰ってくればいい。でもそうじゃない。イラクには自然に命が朽ちていく概念すらないんだと思います。あんなに大きな砂漠や、石油が湧き出る自然の偉大さを間近に見ているのに、宗教を利用して物欲や権力欲を満たそうとしているカスがいる以上、知識と情報と人間が作り出した力で矯正しなければいけないです。それができたら、とっとと帰ってくればいい。
海に足まで入ってしまうこと。それはとてもたくさんのことを感じられることです。海は日によってまったく色やちからが違う。意図的に変えているんじゃなくて、自然の流れのままに変化する。
本当は完全に海のように生きたいです。でもやはり完全にはまだぼくは自信がありません。経験や本から得た知識にたよってしまうところもたくさんあります。だからせめて海があれば、足まで入るんです。