お客さまと芸人

なぜ今日このような長ったらしい文章を書いたのかというと、ぼくはお笑い芸人として、この事実をきっちりと頭に叩き込んでおかなければならないと思ったからです。その上で舞台に立たなければ、お客さまに対して失礼なんです。お客さまのと一線を置くよりも、お客さまの中に入っていって、お客さまと同じ生活圏というか、テリトリーというか、友だち感覚で接した方が良いと考えている芸人もいらっしゃると思います。しかし、これだけ長い文章を書いても、やはり言葉では言い表わせない、超えてはいけない一線というものが、お客さまと芸人の間にはあると思います。
ぼくはお客さまが大好きです。それはお金を払ってくれるからではありません。真剣にぼくの表現を感じてくれるから、受け取ってくださるからです。舞台が終わった後、お客さまと会話を交わすことも大好きです。お客さまから話しかけていただいたときは本当にうれしいです。お客さまがプレゼントをくれることもあります。すべて大切にとってあるし、食べ物ならば感謝して、その日のネタや、プレゼントをくださったお客さまが楽しんでいたかどうか考えながら、食べさせていただいています。
それに、ぼくらのような駆け出し芸人の出演している劇場は非常に小さく、客席まで降りていって芸をするのもひとつの、れっきとした立派な表現手段です。ぼくは時々、お客さまを舞台の上に上げてしまうときもあります。昔、事務所の社長に言われたことは「客いじりは飲み屋で芸をする芸人の手法だ。舞台で芸をするお前たちとは種類の違う芸の手法だ」ということです。しかし、小さな劇場だからこその、お客さまと芸人の一体感だってあると思うんです。そこから生まれる楽しい気分だってあるんです。だからぼくはこれからだって、お客さまと終演後にはたくさんお話しをしたいし、ネタの途中で客席に降りていくこともお客さまを舞台に上げることもします。
しかし、それは、芸人もお客さまも、越えてはいけない一線があるということを理解していることが大前提です。何も言葉で理解していなくても感じていればいいことです。しかもほとんどのお客さまや芸人はそれを理解しています。
ところが残念なことに、ごく一部、本当にごく一部なのですが、そこの「差」が理解しきれていないお客さまや芸人もいるのです。
出待ちの女の子が、ファンの芸人の吸っているタバコの銘柄を調べてプレゼントする、バレンタインにチョコレートをプレゼントする。これは芸人にとってやる気の源、応援がちからになるとても素敵なファンからの声援です。
しかし、これはあくまでも例えばですが、ファンの子が革ジャンをプレゼントするのはどうでしょうか?ぼくらの出演しているお笑いライブを見に来てくださるお客さまは10代の女の子がほとんどです。10代の女の子にとって、革ジャンはそう簡単に買える代物ではありません。必ず無理をしています。「革ジャンをプレゼントしたんだから、私のことをいちばん見てくれるはず」って思いはしないでしょうか?しかし、芸人とお客さまは、どこまで行っても、演じることによって見せる「作品」と、それを鑑賞する「視聴者」です。革ジャンは作品を演じていない芸人の生活を潤すし、お客さまの生活に無理を生じさせます。これではもともこもないじゃないですか。ひととき、私生活の嫌なことを忘れ、楽しい時間を過ごすための「お笑い芸」という作品からかけ離れた、『ぼたんと薔薇』みたいな「愛憎劇」を自ら演じてしまってはいないでしょうか?
どんなにかわいい女性芸人が、お客さまのダメだしを「うん!うん!」って上目づかいで聞いていたって、そこにいる女性芸人は「トイレに行かない」女性です。しかし、お客さまの中にはその女性芸人が「トイレに行く女性」つまり、お客さまと同じ生活圏、同じ世界に存在する女性と勘違いしてしまっているお客さまもいるのではないでしょうか?
これはあくまでも、例えばの話しですが、その芸人とお客さまの本質を理解していない、感じていない、芸人やお客さまは、あきらかにその場の秩序を乱す存在であり、いつの間にかそこには居場所がなくなるでしょう。もしくはなにか悲惨なことを起こすでしょう。
といっても、ぼくの知っている芸人やお客さまにはこんな人はいないので、ただの杞憂なのかもしれませんが。


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