インディーズ

吉本興業みたいな大きな事務所の劇場やテレビ番組ではなくて、飛鳥どれみが出演しているような、小さな劇場で活動している芸人のことを「インディーズ芸人」と呼ぶらしいです。
この呼び方は、2001年にスタンダップコメディアンの中村壮快さんがマシュマロボーイズのことを紹介してくださった、インターネットの記事
http://www.sfcom.com/Japanese/justjapan/0111/naka.html
の中にすでに登場しているので、結構浸透している呼び方なのかもしれません。もしかしたら、中村さんの造語かもしれません。
ところで、世の中には、このインディーズ芸人という存在は、それだけで芸人としてダメだという説を唱える人がいるらしいです。そういう人たちの意見はおおむね、大きな事務所に所属していない、もしくは所属しようとしないということは、「上」を目指していない、もしくは目指していても才能がないから「上」にのし上がれない、というものです。はたしてそうでしょうか?
大きな事務所に所属して日本中、世界中に知られることはお笑い芸人としてとても名誉な、すばらしいことです。しかし、それだけで語れるほど、お笑いは浅いワザではないんです。
お笑いは、人間のこころを扱う商売です。これはおそらく間違いないです。笑うということは、こころが楽しくなるから笑うんです。ひとりのこころがたくさん集まっていって、集結して、そこに歴史や社会が生まれます。そして時代の空気になります。ひとりのこころを読むよりも、時代の流れを読むことのほうがあからさまに簡単です。新聞を読めば世論調査が載っていますし、テレビでもインタビューみたいなことはたくさんやっています。
はたして、インディーズ芸人をダメだと決め付ける人たちは、この時代の流れを読めているのでしょうか?はなはだ疑問ですね。
だって、どんどん大きく大きく、長いものには巻かれまくれというバブル景気はとっくのとうにすぎてしまって、今は完全にボーダレスの時代になっています。
そもそも「インディーズ」という言葉は、音楽業界で、大手レコード会社ではなく「独立系レーベル」と呼ばれる弱小レコード会社、またはそこに所属するミュージシャンのことを指しています。バブル景気のさなかや、その後の景気が低迷していく中ではこの「インディーズレーベル」の存在など、よほどマニアックな音楽通しか知りませんでした。ところがどうですか?「EGO-WRAPPIN'」も「SHAKA LABBITS」も、ヒットチャート1位を獲ったじゃないですか。それが今の時代の空気なんです。そして「インディーズ」が文化として認められた以上、もうこれから先、「インディーズ」が忘れ去られることはありません。それも、EGO-WRAPPIN'やSHAKA LABBITSの人気に火がついたのはもう2年も3年も前のことです。
お笑いも、音楽も、表現によって人間のこころを動かすワザです。ジャンルは違っても、本質の部分ではなんら変わりはありません。
こんな子供でもわかる時代の空気も読めないで、「インディーズ芸人はダメだ」なんて言うのはゲスの極致です。そういう人には「インディーズ」も「大手事務所」も見えていない。エルメスプラダのバッグがブランド名だけでほしいひとたちです。もう当たり前のことを書くなよって言われそうですが、エルメスの良さはブランド名ではなくて、伝統に裏打ちされた、デザイン・使い勝手のよさ、そしてアフターケアなんですよ。
つまり何が言いたいのかというと、「インディーズ芸人」の中にも「大手事務所の芸人」の中にも、すばらしい芸人は同じだけいるということなんです。「インディーズ芸人イコールダメ」「大手事務所の芸人イコールすばらしい」というステロタイプな考えかたは、人間のこころを扱う商売を語る手法としては、大間違えの論理です。
インディーズ芸人の中には、大手事務所を目指し、今現在、小さな劇場で修行を積んでいる者もいれば、大手事務所から声をかけられても断る芸人もいます。だってそうでしょう?自分のやりたいことがインディーズでしかできないのなら、大手事務所に入る必要性がまったくない。逆に、大手事務所でなければ自分の表現は実現できないと思えば大手事務所を目指すしかないでしょう。
だから、「インディーズだからダメ」とか「インディーズだからいい」とか「大手事務所だからいい」とか「大手事務所だからダメ」て決め付ける考え方は、時代の空気を読めていない、すなわち、人のこころを感じていない人間の言うことなので、お笑いの本質をまったくわかっていない、楽しくない人間の考え方です。