過ぎたるはなお及ばざるがごとし

やはりバランスが大切というか、ただ闇雲に一方向に進みすぎるのは、どんなジャンルのどんな事柄においても、やっぱり良い結果は生みません。
よく「命知らず」という言葉を聞きます。人間は誰だって死の恐怖は必ずあるのですが、ところがこの命知らずがいちばん大切なジャンルもあります。例えばF1レーサーは運転技術と同じくらい、もしくはそれ以上に命知らずが記録を生み出すために必要になってきます。死の恐怖を「記録を出したい」という気持ちが上回り、命知らずになったとき、初めて偉大な新記録が生まれます。アイルトン・セナという当時、というかおそらく今でも世界最高であるF1レーサーは、1994年、何度も走ったことのあるイモラサーキットで行われたサンマリノグランプリでコンクリート壁に激突し事故死しました。世界でいちばんの運転技術を持ったセナが、何度も走ったことのあるレース場で事故死する。これはセナの「記録を出したい」気持ちが「死の恐怖」を完全に上回っていたことを証明しています。だからセナはこれだけの記録を残せたのです。
ところが、この命知らず、つまり「死を恐れない」が過ぎて「死んでみたい」になってしまったらどうでしょう。もう本末転倒、記録どころかF1という競技自体が成り立たなくなってしまいます。
お笑い芸人は誰だって、たくさん笑いをとりたい。そのために身を粉にしてあらゆる努力をしています。しかし「笑いをとりたい」が過ぎて「笑いのためならなんでもする」になってしまったらどうでしょう。舞台で笑いをとれる、ある限られた人数の人には大爆笑をとれる。そのためには、他人を傷つけるようなことでも平気でする。犯罪でも犯す。もう、こうなったら、その芸人はお笑いの基本概念、「日常の嫌なことを忘れて、楽しいひと時を過ごす」という構造をぶち壊して、お笑いのフレームから完全に外に出てしまった、ただの「危ない人」です。もしこういう芸人がいたら、それはお笑いを完全に侮辱した行為だし、お笑い自体を成り立たなくさせてしまうことになります。そうやって、大爆笑をとったって、それはお笑いとは一切関係ありません。麻原彰晃を見て笑ってしまうのと、同じ種類の大爆笑をとっているに過ぎない。それはお笑い界の恥さらし、癌であり、とっとと取り除くべきです。
お笑いというのは、決して、よりたくさんの笑いをとったほうが良い、といった単純なものではありませんよ。お笑いの中には「おおー!」って感心すること、技術に対する感動や、その想像もできない感性に度肝を抜かれる、驚きだって含まれます。そしてなにより、楽しい事がいちばん大切です。
誰でも、壁にぶち当たってしまったとき、人は冷静さを失い、わけがわからなくなって、闇雲に暴走してしまうことがあります。しかし、そういうときこそ、もういちど、自分を冷静に見つめなおし、対処していくことが大切です。それを繰り返していって、一流になるんです。だから、壁にぶち当たること、うまくいかなくてイラつくことは、決して悪いことではないんです。そのイラついた、マイナスのパワーをどう変化させて使っていくか次第なんです。
ただ、過激な方向にだけ向かっていくのは、思春期の発想で、暴走族の音みたいな不快な表現方法です。