穢れることのないヒロインたち

宮崎駿監督は誰から見てもおそらく日本で最高のアニメ作家であることは間違いありません。アカデミー賞を受賞(2003年『千と千尋の神隠し』)する作品を作るということは、世界中の人々に感動をあたえたことの証拠にほかなりません。
しかし、ましゅまろちゃんは宮崎監督のアニメが嫌いです。
理由はたったひとつ、宮崎映画の主人公の女の子は、どう見ても宮崎監督自身の「女」として描かれている点です。宮崎監督の理想とする女性が描かれているのなら、それはおそらく大昔から小説や舞台や映画で描かれてきた物語と変わりありません。その基準の中で優劣を決めれば、おのずから傑作か駄作かはわかります。
しかし、宮崎監督の作品は、主人公の女の子と宮崎監督のラブストーリーのような気がしてならないのです。うがった見かたなのかもしれないのですが、宮崎監督のアニメの主人公の女の子は男の子と結ばれることがありません。宮崎アニメの主人公は、すべて利発で思いやりがあり強くて自立したかっこいい、それでいて絵とか声はすごくかわいい女の子たちです。そして、それだけの女性なのに、決して男性とは結ばれません。『カリオストロの城』のヒロインのお姫さまのクラリスは、物語の最後で、去っていく男性主人公のルパン三世に「一緒に行きたい」と懇願します。『カリオストロの城』はルパン三世という泥棒、つまり犯罪者が主人公です。ルパンは物を盗むのを生業とするアウトローで、人を救うこととは正反対の生き方をしています。それなのに物語の中で、自分に利益のないクラリスを助けます。これはビデオを見れば一発、どう考えてもルパンがクラリスに恋をしていたからにほかなりません。なのにルパンはクラリスを抱きしめようとした手を引き離し「おれのように薄汚れちゃいけない」といって、クラリスと結ばれることを拒絶します。意味不明のシーンです。このシーンは「かっこいい」シーン、という人もいるのですが、確かにかっこいいのですが、どうしても矛盾が際立ちすぎています。だって、好きな女が「一緒に行きたい」と言えば、その女のために犯罪者から足を洗い、一緒になればいいじゃないですか。それがかっこいいということですよ。まあ、『ルパン三世』シリーズをこの回で終わらせるわけにはいかないとかの事情はあるのでしょうが。それでも、やはりこれは宮崎監督が「自分のヒロイン」をほかの男には渡さないという、宮崎アニメの基本概念を象徴したシーンに思えます。ほかの男には渡らない以上、クラリスのファンが「クラリスはおれの女だ」と思ったとしても、その希望通り、クラリスは自分の女であり続けます。宮崎監督は「クラリスは私の女です」とかは、間違っても言いませんから。興行成績1位を獲るほどの商売上手は、そんなバカは言いません。ファンを裏切ることがいちばんの信頼の失墜につながることは当然だからです。つまり宮崎監督は『カリオストロの城』が公開された1979年の時点で「萌え」の本質を完全に把握しています。

ブレイク タイム
関係ないのですが、『風の谷のナウシカ』について書かれているインターネットの記事をいろいろ見ていたところ、奇妙な画像を発見しました。
http://members.at.infoseek.co.jp/masstops/gr/1066526804097.jpg
藤岡弘さん、何してるんでしょう?