笑いの科学・2

「笑う」という行為については昔からたくさんの偉い人たちが様々な解釈をしてきています。特に心理学というものができてからはそのジャンルではそうとう研究されていて、たくさんの説があるみたいです。人間というのは赤ちゃんの時から笑うらしいです。当然、赤ちゃんは言葉は理解してないし世間の常識も知らないはずです。なのに笑うということは、おとなが漫才やテレビを見て笑ったり、友だちと会話をして笑うのとはちょっと違う笑いなんだと思います。この赤ちゃんの笑いについては、自己防衛本能だという説があります。笑えば周りのおとながかわいがってくれるから、本能で笑っているという説です。まあたしかに赤ちゃんが眉間にしわをよせて下あごを突き出してにらみつけてくるより、笑っている方がかわいいに決まってますから、そうなのかもしれないんですが、そもそも本能というのが何なのかよくわかんないです。なんとなく本能という言葉でごまかしてしまっている感じがしますね。結局のところまだわからないということなんでしょうか。
それと、これは赤ちゃんの本能的な笑いではなくて、おとなが笑うことについてなんですが、笑いというのはため息が突発的に出たものだ、という説もあります。これをはじめて本で読んだ時にはぼくはかなり感心してしまいました。よく、火事で家が全焼してしまった人は、それを見て思わず笑ってしまうといいます。映画なんかでもそういう演出の仕方が結構多いような気がします。ため息というのは、あきれ果てたり悲しすぎる時に気持ちを落ち着かせるために本能的に(結局そこか!?)出る深呼吸みたいなものだと思うのですが、お笑い芸人がする漫才は自分の妻や生活の悲惨さをネタにすることが多いですし、コントではあきれるようなくだらないドラマを演じることが多いと思います。そして、お客さんはそれが舞台の上で演じられているフィクションで、自分には被害がないことを知っているから、安心してあきれ果てることができます。初めて舞台に立った芸人のネタが下手だと笑えないのは、その後先輩や師匠に怒られている姿や、悔しがっている芸人の姿が想像できてしまうからかもしれません。それが想像できてしまうということはお客さんも「芸人がかわいそうと思う」という被害を被ることになりますからね。ところが笑点の黄色い着物の喜久蔵さんなんかは、手を上げておきながら言うことを忘れたりしても、誰にも怒られるはずなんかないことはみんな知ってますから、安心してあきれ果てることができるわけです。
そう考えると師匠とか呼ばれるベテランの人はすごいな、と思います。