上海帰りのリル

ぼくは意味不明なことが大好きなのですが、なかなか意味不明なことというのは簡単に見つかるものではありません。でも、意味不明とか矛盾といったことはもっとも人間らしいもので、やはり見捨てることはできない事物です。動物やコンピュータの行動にはすべて意味があります。意味不明は人間だけに許されたもっとも人間らしいありさまです。田原総一朗が不気味なのは、あまりに矛盾点がないから、つまり、人間らしさがないからです。
ところで、ぼくは今までに数々の意味不明を体験してきたのですが、その意味不明体験の中でも「上海帰りのリル事件」は外せないでしょう。
当時、学生だったぼくは先輩の植村さんとふたりで酒を飲むことになりました。ふたりきりで日本酒や焼酎を飲みまくり、気がつけば記憶がなくなるまで飲んでいました。ふたりきりで飲んでいたため、朝起きた時には植村先輩もぼくも前夜の記憶がまったくありませんでした。しかし、テーブルには焼酎を割るためのレモンなどがあったので、おそらくふたりでべらべらに酔っ払いながら買いに行ったのだろうと推測されました。そんな、先輩もぼくも記憶がないような飲みすぎの中、たったひとつだけぼくの記憶に鮮明に残っていたものがありました。それはぼくが先輩に『上海帰りのリル』という歌を教えているところです。先輩はぼくの後に続いて「♪誰かリルを知らないか〜」と歌っていました。しかし、ぼくはそんな歌は知らなかったんですよ。後で調べてそれは終戦間もないころに流行った歌だということがわかりました。謎とか意味不明を通り越してこれはさすがに不気味でした。
とは言えこれくらい意味不明なことがあると、みみずだっておけらだってあめんぼだって生きているという実感がわくってもんです。ぼくはおけらを見たことがありません。ハサミムシはあります。