チェシャネコ

今日は「お笑いプレーオフ」というライブに出演させてもらいました。ぼくが個人としてとても大好きな芸人がたくさん出ていて楽しかったです。そして、そういう個人的な好き嫌いを抜きにして他の芸人のネタを見て勉強になることがたくさんありました。そしてなによりわざわざライブを見に来てくれたお客様にはありがたい気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。ライブが終わって家に帰る途中に、車にスキー板を取り付けているおじさんがいました。6月8日にスキーをしに行くというのはなかなか不思議なことなのですが、それくらいのことがまかり通らなければこの世はあかんなと思いました。今日ライブで一緒に出演させてもらった自称えせ看護婦芸人の古川ちえみさんがディズニー映画の『不思議の国のアリス』の絵が描いてあるファイルを持っていたので、そのことを思い出してとみにそう思いました。この『不思議の国のアリス』はルイス・キャロルという人が書いた童話なのですが、なかなか現代の人間の生き方の方向をあらわしているような気がします。『不思議の国のアリス』の中の「ブタとコショウ」という章にこんなシーンがあります。アリスはチェシャネコという猫に「この辺じゃ、誰でも狂ってるいるんだ。俺も狂ってるし、あんたも狂ってる」と言われます。アリスは「あたしが狂ってるなんてどうしてわかる?」と訊ねます。チェシャネコは「狂ってるさ。でなけりゃ、ここまで来られるわけがない」と答えます。そんなの理由付けになりゃしない、とアリスは思います。チェシャネコの言う「この辺」というのは「不思議の国」のことです。「不思議の国」は理由のない、狂った世界です。だから、時計を持ったうさぎがいても、トランプの兵隊がいてもおかしくありません。「不思議の国」はそういう設定で描かれています。しかし、アリスはチェシャネコの「ここにいれば狂っている」という狂った発言(狂っていない人はどこに行っても狂っていないですからね)に、論理的矛盾があることを「理由付けにならない」と指摘します。しかし、アリスは不思議の国に適応しそこを旅します。論理的世界というのはコンピュータの世界です。1+1=2という絶対に正しい世界です。狂った世界というのは意味不明の世界です。花は美しいという世界です。このふたつともを現代の人間は理解して実践していかなければいけないということを『不思議の国のアリス』はあらわしているような気がします。ルイス・キャロルは数学者であるとともに少女の写真のコレクターであったという点がなんとも象徴的な気がします。しかしここで難しいのはテポドンを撃ったり日本人を拉致することが意味不明っぽいことです。エビアンサミットで小泉首相は「何で北朝鮮は日本人を拉致したかわからない」と言ったらしいですが、これは金総書記をかばいすぎです。これはただ単に日本の情報や技術がほしかっただけです。金総書記には絶対に「花を見て美しい」と思う心はありません。でなけりゃ、ここまで来れるわけがないんです。金総書記は情緒もへったくれもない独裁ロボットですよ。こんなものに振り回されてるのはなんともムカつく話しですが、ここは「アリス」のように柔軟な発想でいかなければいけませんね。