芸人魂

お笑い芸人の世界には伝統的に昔からひとつの決まりごとがあります。それは「芸人はいつなんどきでも芸人でなければならない」ということです。これはお笑いだけでなくて、あらゆる芸能にも言われているみたいです。アイドルはトイレに行かないっていうやつです。もちろん浜崎あゆみだってトイレはするに決まってるんですが、人の前では常に行ってないかのように振舞わなければいけないというわけです。♪芸のためなら女房も泣かす〜それがどうした文句があるか〜、という『浪花恋しぐれ』という歌のモデルになった初代桂春団治という落語家は、借金をしてまで派手に遊びまわって、常に楽しそうにするのが芸人の美学と考えていたらしく、結局破産してしまい、家中の家具まで差し押さえになってしまいました。家具に差し押さえの札を役人が貼りに来ているところをマスコミが自宅まで取材に来ていたのですが、それを見ていた初代春団治は突然たんすに貼ってあった札をはがすと、カメラマンの前にやって来て自分の口に札を貼りました。その写真は次の日の新聞に大きく載りました。落語家はしゃべることが仕事なので、破産して、仕事ができなくなったわいの口も差し押さえ、という、スーパーブラック自虐ジョークです。また林家三平という落語家は病院のベッドの上で死にかけの時、医者に意識の確認のため「お名前を言ってください」と言われると、ただ一言「加山雄三です」と言ったらしいです。それとは反対に、そろばんを楽器代わりにリズムをとりながら演じる漫談で一世を風靡したトニー谷という芸人は、自分の息子が誘拐された時にテレビで涙を流して助けを求めました。それ以来トニー谷の人気は一気になくなりました。ぼくも芸人のはしくれとして、常に芸人でなければならないのかなとも思うのですが、それはちょっと違いますね。何が違うかというと、時代が違います。今はその辺の普通の女の子が突然アイドルになれる時代です。昔の銀幕スターのように「この人はまったく違う人だ」というのは巨乳アイドルと言われる人たちくらいです。極楽とんぼの山本も「いいとも」に出てましたが、普通に笑いをとってました。ちょっとテンションは低めでしたが、特別何てことはありませんでした。だから今は昔ほど芸人は常に芸人でなければならないというのは薄れてきていますね。まあ、程度の問題であって、完全になくなってしまったわけではないと思いますが。