盗作

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安倍なつみさんの作った詞(詩)が盗作じゃないかと言われてるらしいです。真偽はわからないのですが、とにかく盗作はしちゃいけない。
盗作とオマージュはまったく別物です。
例えばスポーツだと盗作なんかないから、お笑いのぼくはうらやましいです。野球をする子供はみんなイチローのバッティングフォームのまねをします。これはイチローがかっこいいから、そうなりたいからするわけです。これは盗作ではなくオマージュです。イチローのバッティングフォームをしたって誰もがイチローみたいに打てるわけじゃない。でも、子供たちはそこから入ってイチローのような選手に近づいていく。これが何の違和感もなく自然に盗作ではなくオマージュであることがわかるのは、野球には決まったルールがあるからです。野球のルールが何百個あるのか知らないけど、とにかくそのルールの中でより多く点数を取った者が勝つ。そういう絶対的な前提があります。
ところが詩やお笑いにはそれがない。本の売れた部数や番組の視聴率はあります。でもそれで勝ち負けが决まるわけじゃない。大学の教授はよく自分の書いた本を教課書にします。生徒は書わないわけにはいきません。よくテレビのゴールデンタイムの番組は8時58分から始まります。視聴率の集計を10分ごとに取るなら、9時丁度にCMを流している放送局より高い数字を取ることができます。でもそうやって稼いだ数と勝ち負けは一切関係ない。
廃版になってからほしくて駆けずり回っても見つけたい本、生放送の中で誰かがふと吐いた一言。世界中にひとりだけでも、それで何かから救われた人がいたのなら、小細工の数字なんかよりはるかに価値があると、ぼくは思う。詩やお笑いの本質はきっとそこら辺にある。ビジネスとアートはそこが決定的に違う。
ビジネスはお金を扱う商売、アートは人の心を扱う商売です。ビジネスはお金をたくさん稼いだ者が勝ち。だからインターネットが普及したらある社長がオフィスを丸ノ内から、土地の安い、空気がきれいな海の見える田舎に移したとします。商取引きは全部インターネットでできるし、新幹線さえ走っているところなら、実際に人と会わなければいけないシーンでも、何ら問題はありません。それを見た他の社長がまったく同じことをしました。でもこれはオマージュです。ビジネスだから。法律に違反しないでたくさん金を稼ぐのがビジネスだから。
でもね、お笑いは違いますよ。アートだから。とある渋谷のお笑い劇場は客が入る。だから渋谷に新しい劇場を作った。これは盗作じゃない。お笑いでもビジネスの部分だから。でもね、まったく知名度のないぼくのネタを、ぼくより人気のある芸人が、お笑いだからカブることがあるのは当然だけれども、ストーリーの流れが同じでオチも一緒、フリ付けと言葉が一緒、これをしたら盗作ですよ。人間の心よりも数や金を重視した「お笑い」。そもそもそんなことをぼくの目の前でやる人としての配慮のなさ。こんなのはぼくはお笑いとは認めない。その人の職業はどろぼうです。ぼくのネタを気に入ってくれて、ぼくのネタを見たことのある人の前で、その時だけ芸名もぼくのパロディーにしてやってくれる人もいます。素直にうれしいです。
ぼくは100人中99人に「それじゃぁ・・・」と言われても、たったひとりでも心を動かせる芸人でありたい。ひとりの心を動かせなければみんなの心を動かせるはずがない。みんなの票数を取れる芸人ではなくて、みんなの心を動かせる芸人になりたいです。
だから、盗作はやめろと言ったって主義が違うのだからやめないだろうから、放っておくけど、ぼくは盗作はしないです。